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新「折野物語」 白 簡素 その昔、現在の折野はオリノとは呼ばれていませ んでした。地勢は鹿や狐狸たちが自由奔放に遊ぶ 原野の状態でありました。それがある時に、「鬼 野」と呼ばれることが起きました。 原住民は鬼に仕立てられ辱めを受けても、耐え て土下座し難局を乗り切らざるを得なかった時代 があったのです。 ときは鎌倉時代、瀬戸内海に面する折野にも新 しい宗教革命の波が押し寄せていました。その波 に棹さしていた一人が法然上人でした。上人はあ る時この地の沖を航海中、突然停船することを船 頭に命じました。 このころの民家の戸数は今よりずっと少なく、全 くの陸の孤島であったころです。上人は「布教の 根城になるかも知れぬ」と開拓の閃きによって従 者を上陸させたのです。 ところが予想外な住民の抵抗に遇ったのであり ます。ときの住民達は、それ外敵の襲来だとばか りに撃退に挑んだのですが、不戦・無抵抗主義で 迫ってくる法然側の勢いに遂に降参させられる形 になりました。そして住民側は、逆に説教される に及び改心即ち改宗させられる事態に陥りました。 これまで信心してきた「真言宗」を捨てて「浄土 宗」に改宗するよう迫られたのであります。 邨ではそのときの住職をはじめ土地のリーダー 達は、日夜寄り合いをし、改宗すべきかどうかで 結論が出せず、途方に暮れていました。その時遂 に男のリーダーの一人が悲愴な決意をするに至っ たのであります。 これまで真言宗であった寺の境内に浄土宗を祀 るという折衷案を出して住民を納得させ、一方法 然側に対する住民側の改宗の証しとして、これま で逆らっきた自分達の言動の罪滅ばしに、大崖か ら代表自らが身を投ずることによって相手方の面 子を立て、従来の真言の宗旨を守ろうとしたので す。謂わば捨て身の妥協策でした。 疑念の晴れない法然側は、邨の交渉役であった 男一家の投身の後始末として、彼等の骨を当寺に 葬ることを認める代わりに、後世に於いてその骨 を英雄の骨扱いされないよう、わざわざ寺の名を 「鬼骨寺」と唱和させるようにしたのです。上人は、 あくまで住民の代表は「人間」ではなく「鬼」で あり、「鬼」だから退治すべき権利が自分にあっ たのだと云うことにしてしまいました。 この様に後世に謀反の種や悪名が残らないよう に、用意周到に練られた大義名分を振りかざしつ つ、布教活動を続けていたのでなかろうかと考え させられます。 以上からも分かるように、当時の新興宗教の布 教の波はかなり執拗であったことが推察されます。 そして住民側としては、罪滅ぼしの為に自害し果 てた者を葬る側の寺を、鬼の骨を祀る寺即ち「鬼骨 寺」と卑下して呼び、又この地を鬼が住んでいた標 として「鬼野」と呼ぶことと引き替えに、辛うじて 「真言宗」を全面放棄することから免れたのであ ります。 鬼骨寺が所属する板東結集の中には、八十八箇 所の一番、二番札所など由緒ある真言宗の寺が同 座していますが、この鬼骨寺の境内に弘法大師で なく法然上人の像が祀られていることは、宗教を中 心にした当時の激動する社会情勢が、辺境の地の 「鬼野」にも海上交通のネットワークを伝って やってきていたことを窺い知ることが出来るので あります。 現状「折野」 ///北灘西の呼称は旧徳島県板野郡北灘町折野 村を主に大洲・長浜・碁の裏を加えたエリアを指 しています。 このサイトは北灘西地区に関する地域情報を私的 に発信するものであります。鳴門市北灘町折野は 限界集落の分類に入って仕舞いましたが、従来の 住民と入れ替わって 阪神より以東の企業や資本家達の投資対象となっ ています。今後一〇年、二〇年先には、既に在る リゾート・トラストなどが地域の殆どを所有し模 様替えしている可能性があります。既存の住民の 常識を越えて東(ひがし)地(ち)の山腹に出店した 喫茶店「ルン」はセンスを売りものにして繁盛を しています。長浜地区には用地購入を続けながら、 巨大な商売を虎視眈々狙っている水面下の企業も あります。 北灘西の歴史文化としては鬼骨寺、折野八幡神社、 自然としては柴折の滝など、ほんの僅かしかあり ません。 最近には農協支所が廃止になり、北灘西小学校も 鳴門市の財政事情から廃校になることを目前にし ております。地場産業として農水産業を誇ったの は数十年前のことで、それも今やずばり風前の灯 火であります 故郷はいずこへ・・・・ それでも地球は動いている事だけは信じましょ う・・・ (この作品はフィクションの範疇でり資料を添え ることを省略させて戴きます。作者) (了) 【編集後記】 最後までお読みいただきまことに有り難うござい ました。 「出来るだけ原稿に忠実に」と努めたつもりですが、 もし相違うところがありましたらお許し賜ればう れしく存じます。 茲にご投稿賜りました作者白簡素氏に厚く御礼申 し上げます。 IT情報技術研究所 〔窓苑〕アイテコム舎 編集人並びにサイト管理者 二〇〇八年三月三十一日 (著作権 作者に帰属します) |